受け売り

モチベーションアップ

そこに差はなく、在るのは違いだけ

確か松下幸之助さんの言葉だったと思います。

同じ人間はこの世に2人存在しませんから、まさに仰るとおりかと。

 

この違いについてダーウィンは、

一見違ったように見えるものが、実は普遍的な原理で生まれてくる。と言ってます。

単に違うと捉えてしまうと、この普遍的な原理が見えなくなるようです。

 

あの人とは違う、あれはタマタマ運が良かったから、などと片付けるのではなく、

差はないのに何故違いがでるのか?という普遍性を見つける問いが、

イノベーションを生むようです。

 

幸せとは

幸せとは大切な人に降りかかった雨に傘をさせること。

そしていつの間にか僕の方がまもられてしまうことだ。

これは、back number さんの歌の一節です。

 

誰かに何かをしてあげられる幸せ、

おそらくそれが幸せの本質なのでしょう。

 

先の東大卒業式での祝辞が話題になりましたが、

そこでは、あなたが恵まれた資質や環境のお陰で努力が報われたのであれば、

それを自分の為だけではなく、弱者を救う為に使って欲しい。

フェミニズムとは、弱者を強者にするのではなく、

弱者のまま尊重しようとするもの、という主旨でお話されていたと思います。

 

誰にでも弱い部分はありますから、そこはヒトに助けて貰いつつ、

誰かの弱い部分を助けてあげる。それが幸せの一つの形だと

back number さんは歌ってるんでしょうね。ホント良い歌です。

貴重な時間をムダにしないために

1.やるべきでないことを効率的にできる方法を考える

  俗に言う5Sも整理(要らないモノを捨てる)から始まります。

 

2.できないことを証明しようとする

  そこにエネルギーを費やすくらいなら、できることから始めた方がマシです。

 

3.全てのことをやろうとする

  時間がいくらあっても足りなくなります。

  やらないことを明確にして、やることには優先順位をつけ、

  上から順にやりましょう。

正しさとは何?

ん〜、確かに言ってるコトは間違ってはいない。。。がしかし、、

っていう人、周囲に居ませんか?そう、間違ってはないんですが、

どうも正しいとも思えない。要は合わないんですね自分と。

 

少し考えてみると正しさって、その状況によって何が正しいのか

変わるんですよね。歴史がそう物語ってます。

そして何が正しかったのか、実のところよく分かりません。

客観的にみると、、なんて意味ないですからね。

当事者でないなら、シチュエーションも選択も在りませんから。

 

だとしたら、正しさって他人に対してではなく、

自分に対する正しさしか意味がないような気がします。

将来の自分に対する正しい選択、つまり結果によらずに

自分が後悔しない正しさを貫ぬく場合に限り、意義があるような気がします。

覚悟に勝る決断はなし

判断ではなく決断、非常に難しいですよね。

判断材料はあっても、決断材料なんてありません。

判断は他人に迫るコトもできますが、決断は当人が腹を括らなくてはならない。

それが覚悟なのでしょう。

 

試してみることに失敗はない

子供の頃、日々何かに挑戦してましたよね?それもムダに。

友達や兄弟姉妹、周囲にいる人にできることをとにかく真似たり

テレビやメディアの影響を受けて、まさにトライ&エラーの日々。

痛い思いも良くしたものです。思春期は何かと痛い。

 

そう思うといつからなんでしょうね?

なんとなくコケることが無くなって、血が出るようなケガもしなくなる。

と言いますか、コケそうになるようなコトもしなくなってる。

 

そうなんですよ!

コケなくなったのは上手くなったんじゃなく、

コケない程度にしか挑戦しなくなったんですよきっと。

 

今日とは違う自分にチャレンジしませんか?

 

らしさとは?

ある彫刻家のインタビュー記事で、

良い彫刻とは(被写体として)らしく無い所を削れば良い

という趣旨の記事を見たことがあります。すごいですね。

 

なんでもググる時代ですが、◯◯でないモノという検索はできません。

つまり検索条件が無いに等しいですから、意味がないんですね。

 

では、自分らしさを考える時にはどうでしょうか。

逆に「自分らしさは◯◯だ」と断定するのは結構難しいですが、

「これは自分らしくない」という感覚はなんとなく在りますよね?

 

俗に言う、自分らしさって、探すものではなくソコに在るモノって奴です。

であれば前述の彫刻家と同様、らしさを追求するよりも、

らしくない所を徹底的に削れば、らしい生き方ができるのかも知れませんね。